まだまだ年月が浅いが、6年も野球ファンをやっていると、推しメン、つまり「特別に好きな選手」がNPBの舞台からいなくなってしまうことがある。
そこそこの実績がある選手なら、球団にコーチやスタッフとして、または解説者として球界に残ることもあるが、そうじゃない場合は、本当に消息がわからなくなってしまうことがままある。
(実績がなくても球界に残る人もいるけれど、こればかりは人柄や運やコネ関係だろう)
今日、野球ファンになってまだ間もない頃に、推しメンになった選手の消息を知ることができた。
元中日ドラゴンズの西川明さんだ。
2010年のオフに戦力外になりトライアウトに参加後も声がかかることはなく、そのまま球界から去ってしまって以降、全くその後がわからずにいた。
そんな西川元選手が【高校教師に転身】、という見出しで2014年3月12日付けの夕刊三重新聞の一面の記事になっていたのを友人が教えてくれた。
http://www.shimbun-online.com/product/Yukan_Mie_Shimbun0140312.html
立ち読みできるので、見れる人は見てみてほしい。
記事によると、戦力外になった後、地元の三重県に戻り津市内の医療関連会社に就職していたが、もう一度野球に携わりたいと脱サラ。
2011年8月に通信制の大学に入学、昨秋に高校地理・歴史・公民と中学社会の教員免許を取得したという。
三重県の教育委員会に講師登録済みで、来年度に「学生野球資格回復研修制度」の研修などを受け、最短で再来年度から高校野球を指導できるようになるとのこと。
新天地を選んだ理由が高校野球で、「(高校球児に)野球を通じて社会で通用する人間力を身につけさせたい」「球児と同じ目線で、一緒になって汗を流していきたい」とコメントしている。
「学生野球資格回復研修制度」とは、NPBと日本学生野球協会、日本プロ野球選手会が新設した制度だ。
従来、元プロ選手が高校野球を指導するには学校での2年間の教科指導実務が必要だったが、今年度から研修会の受講などによって約半年で「学生野球資格回復」が認められるようになったというもの。
ただ単に、西川元選手の消息がわかっただけではなく、野球を諦めずに、教員免許まで取得して努力していたんだなぁとわかったことが幸せで、とてもとても嬉しかった。
いつか、彼が指導する高校野球部の試合を観に行けたらいいなぁと、今日小さな夢ができた。
彼が推しメンになった理由。
2008年8月21日、プロ野球ファンになってから3度目くらいのハマスタでの現地観戦。
まだまだ野球もよくわかってなく、野球ファン的なノリも手探りで、あらゆることが新鮮で些細なことでも感動的だった。
3塁側のFA席に着席して、中日の選手が試合前にキャッチボールやボール回しでウォーミングアップをしているのをカメラで撮影していたときのこと。
高代コーチが打ち上げたフライが、手が滑ったのかあろうことかこちらに飛んできていた。
私はファイダーを覗いていたからボールがこちらに飛んできていることに全く気づいていなかったが、西川選手がこちらに一直線にずいずい走ってくるのが見えた。
(ボールを追ってきているとはまだ気づかなかった)
「わあ西川くんだ」
とシャッターを切ると、彼は空を指さして「ヘイ!」ってこちらに向かって叫んだ。
「?」
と思った瞬間、前の列の斜め前の人の背中と椅子の背もたれの間にボールが落ちて、その席の後ろのカップホルダーにあった誰かの生ビールが派手に飛び散った。
ビックリしたものの、「西川くんがボールが来るの教えてくれたよ」って私は大喜びで、それから応援しよう、と決めたのだ。
とっても単純だけど、まだ初々しかった私には、注意喚起してもらえただけでとても素敵な事件だった。(ただし状況はとても危ない)
大切な思い出。

この先、彼の夢が叶いますようにと願いながら、いつか彼が指揮を執る姿を現地で見るのを楽しみにしている。
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