原作は江國香織。
足が地面から10cmは離れてそうなほどふわふわしたリアリティのない世界で、およそどこで巡り会えるのかわからないような主人公を中谷美紀が演じていた。
彼女はテディベア作家。IT会社勤務の夫を持ち、世の中の女性が憧れてやまないであろうアンティーク風おしゃれな家に住む。特異な職業が表しているだけあって、独特の感性とこだわりの強いライフスタイルを大切に生きている。
夫とのまともな接触がなくなって2年、孤独を抱えている。
夫役の大森南朋ははIT会社勤務のいまどきの男性。
自分のスペースと時間が大切で、自室に鍵をかけてマンガやゲームに熱中する、家の中でも連絡は携帯。
「彼女は現実感が薄い」と序盤で友達に漏らすように、独特な妻に少し距離をおきながら、共同生活を送っている。
お互いに孤独感を抱えながら、それぞれ巡りあう間男・後輩と恋に落ちてアレコレした後、結局お互いのもとに帰っていく。
以上がざっくりあらすじ。
そもそもテディベア作家とIT会社の社畜がどうやって知り合うんだろうなんて元IT会社勤務の立場から。
だけど夫の勤務先のロケ地が渋谷のビルだったこと、会社に訪ねてきた後輩とランチデートした公園が神泉にほど近い公園だったのはリアリティあった。(私の夫はよくあの公園で休憩してた)
なにはともあれ中谷美紀が怖い、テディベア作家という特異な自営業とはいえ、人間味がなさすぎて静かに狂気に振れている。もしくは、人肌のぬくもりに飢えているだけのひたすら冷静なメンヘラだ。
あれを演じているなら素晴らしい女優だけど、見た目のせいでハマりすぎているというか、彼女が秘めているリアルの一部と思ったほうがよっぽど腹落ちする。(いいのか悪いのか)
大森南朋も大森南朋で、ハッキリしない男なのにかっこよすぎて落ち着いて見てられない。
あんなにかっこいいのに、妻との接触がないのに浮気ひとつしない、まるで去勢されたみたいにおとなしくてゲームばっかしてる。
お互いに寂しいのに、決してお互いで寂しさを埋めようとはしない、夫婦なのに。
中谷美紀が「この部屋は恋が足りないと思う、そもそも足りないのか、必要ないのかすらもわからない」なんて詩的な事言ってたけど、「セックスたまにはしようよ」で解決するんじゃないだろうか。
それぞれ浮気相手に対して、初めて感情的に温もりを貪る。
中谷美紀はおといて、まーーーーーー大森南朋がかっこよすぎる、キスひとつでこちらの心臓が跳ね上がるエロさ。セックスアピールする気がなくてもだだ漏れちゃってる性的ないいニオイ。
絡みのシーンなんて嗚咽さえ漏れそうな仕草のスマートさ、そこに切実に人肌のぬくもりを求める男の寂しさがにじみ出ていて余計におしっこ漏れそう。(目が離せなくてトイレ行けない)
ガツガツと快楽を貪ることがメインの「欲望」のセックスとは別物、仕草ひとつ、表情ひとつ違う、ああおっかない人よ。
ホテルでのワンシーン、池脇千鶴の胴に必死に縋りつくように抱きすくめるとこなんてもう!そんなにも孤独をかなぐり捨てられたらいてもたってもいられない。
その最中、池脇千鶴の頭を幾度となく愛しげに、だけどオスらしく、少し乱雑に撫でているだけで動悸がするから求心。
とりあえずは、スーツでカッコよく肩で風切って歩く大森南朋(絡みアリ)を堪能できるという点においては大変おいしゅうございました。
歩き方は相当なイケメン歩きで、歩き方のかっこよさ度でいうとハゲタカ<スイートリトルライズ(ピンズド)<笑う警官=S(若干オバー)という着地。
で、今作で初めて拝んだ「表情」は、水族館で浮気相手の後輩の手を振りきってエレベーターを昇っていく時のもの。
後悔と、何かに対する密かな怒りすらわずかに滲んだ強張った顔。
毎回毎回初見の顔が出てくる「役者」っぷりをここでも確認できました。
あと、池脇千鶴と初めてキスする前に見つめ合ってる時の顔がかっこいいのは当然、優しすぎて切なくて悲鳴出た。
大森南朋えろかっこよすぎ賛美はこれくらいにして。
この作品で描かれている「夫婦」の形が、私と夫の形にあまりにもそっくりなことに気づいて驚いた。
夫はIT系、私は自由人。男女というより家族。別々の空間で思い思いに過ごす。妻に気を使う夫。
この作品を見た人は、なぜこの夫婦が壊れないのか、浮気してもなおお互いに戻るのか理解し難い人もいるのかもしれない。
ここに描かれているのと同じような境遇だからか、私には「それは当然のこと」のようにスッと納得できた。
中谷美紀が言う
「窓が好き、外が暗いのに窓のこちら側は安全だから」
「さとし(夫)は私の窓なの」(浮気相手に対して)
「ひとは守りたいものに嘘をつくの」(浮気相手に対して)
ここでいう「夫=私の窓」とは私を守るもの、そして大義で家(HOME)だ。
どんなに孤独でも、性欲が満たされなくても、それを補って余りある“特別な存在”が夫であり、家であって、守るべき帰る場所なのだ。
終盤、かわいがっていた犬が死に、悲しみにくれる中谷美紀のために大森南朋が犬を埋葬する穴を掘る。
大きな大きな穴を掘ってあげると、メンヘラちゃんは死んだ犬の亡骸と一緒にしばらく穴の中で横たわる、いくら特異なキャラといってもなかなか想像に難い行為だ。
しばらくして、大森南朋が手を差し伸べて中谷美紀を穴の中から引っ張りあげる。
どう控えめに見てもこの夫、面倒見と付き合いがよすぎる。
夫も夫で、この「現実感が薄い妻」の非現実的な思考・発想・趣味嗜好やその他あらゆる面倒さや扱いづらさをも全てひっくるめて好きなのだ。好き、というより、必要といったほうが正しいかもしれない。
このふわふわした特殊な人が、空気そのもののように「そこにいることが当然」で、もはや肉体的な繋がりも必要じゃないほど自然な存在で、その根底にあるものが愛とか情だ。
垢抜けきれず、素直で明るく、可愛げのある後輩は妻の対極で、やわらかさや女性らしさに肉欲をそそられて恋に落ちても、それは一時的なもの。(とはいえさんざん甘えていたけれど)
それ以上に大切なもの、自分を必要としている人を知っているから、水族館で後輩を振りきった後の、あの強張った顔なのだ。
愛と恋は別、最後には愛に帰る、だって夫婦だから。
いままさに「二人でいたって孤独は感じる」日常の私にとって、心の恋人がまさに大森南朋その人なここ1ヶ月半あまり。
まさかこんなタイミングで、大森南朋主演の映画でこんなテーマを観せられることになろうとはと、心底面食らった夜だった。