羽田空港

空港泊

沖縄へのプロ野球春季キャンプ見学旅行の帰りのこと。
その日は2/14(金)、奇しくも、関東を始めとする日本列島の広域は45年ぶりと言われる大雪に見舞われ、羽田への飛行機も欠航が危ぶまれていた。

朝からANAのサイトを幾度となく確認するも、欠航報はなかなか出ない。
予約していた飛行機は19:30発で、その日のベイスターズの練習メニューがまだ終わり切らないうちに、名残惜しく空港に向かうバス(宜野湾空港線)に乗ったのは16:50頃だった。

2月上旬から沖縄に2週間の滞在、毎年この時期に沖縄に来て3年目になるが、こんなに悪天候に見舞われたのは初めてだ。
いつもなら10日程も滞在すれば、キャンプ見学に支障がある位の悪天候はせいぜい3日といった程度だが、今年はまともに晴れてせいせい見ることができたのが3日あるかないかという具合。
雨がザーザー降っていなくとも、風や小雨に震える日がほとんどで、今年はおかしいなと思っていたところに、先週2/8(日)の本州の大雪である。
なにか上空が普通じゃないのは、沖縄だけでなく列島全体に渡っていた。

2/8(日)、たまたまこの日の夜の便で関東に戻る予定だった友人は、午後15:00頃には欠航ジャッジがおり、振替手続きと宿探しに苦労していたと記憶している。
不幸にも宜野湾、北谷、那覇周辺の宿は全て埋まっており、彼女達は嘉手納のホテルに延泊していた。
翌日の便で帰れたものの、降雪の影響で大幅な遅延が発生し、羽田についたのは終電がなくなっていた時間で、やむなく国際線ターミナルで一夜を明かしたと聞いていた。
「大変だったね」と労ったものの、当事者でもなければ本当の大変さはわからないものである。
まだまだ私は、関東の雪も、友人の苦労もどこか遠くの国のおとぎ話のように、全く実感がなかったが、まさか自分も同じ目に遭うことになるとはこの時想像だにしていなかった。

18:00過ぎに那覇空港に着き、一緒に飛行機を予約している友人と落ちあった。
お互いに2月上旬から、ほぼ休みなく毎日どこぞのキャンプ地に出かけていたから、口を開けば「疲れた」「早く帰りたい」しか出てこないほど疲労困憊していた。
チェックインの時点で、予約の便は30分遅れの20:00発に変更されていた。
お土産を買い込み、3階のサンドウィッチ喫茶店のコーラフロートで糖分補給した19:00過ぎ、さぁ帰ろうと保安検査を経て搭乗口に向かったところ、22:00にフライト時間変更のアナウンスがされ愕然。
このままでは羽田に辿り着いても帰れない、ならば翌日の便に振り替えようとカウンターに向かった直後、この便は欠航になりましたのアナウンスにさすがの場内もざわついて、乗客らが一斉に振替手続きに3階チェックインロビーへ大移動を始めたときの脱力感はなんとも表現しがたいものがあった。
先週雪の日の流れを多少なりとも知っていたから、欠航くらい想定できてたよね?という「案の定」感。
「欠航予定はございません」の言葉にさんざん引っ張られての展開に、どっと疲労感も増した。
夕方、たぶん欠航するからさっさと振り替えて宿取ったほうが無難じゃない?と友人に持ちかけたものの、カウンターでは欠航予定はありませんとのことであった。
それでも振り替えて早めにゆっくり休める寝床を確保するべきだったのに、わかってたはずなのに、という自分への舌打ち感。

友人には振替手続きに並んでもらい、私は手荷物を回収しに向かった。
手荷物受取場には、共に欠航となった1つ前の便に搭乗予定のお友達達がいた。
荷物を待ちがてら彼女達は、スマホを使い宿を予約しようとしていたが、「宿がどんどん埋まってく」という悲痛な声で状況を察した。
脳内で「これは空港泊だ」と切り替え、荷物を回収して出発ロビーのローソンへ。
食糧と水分の確保をしてから、振替手続きのカウンターに向かった。

欠航難民達は、ANAの人が配る周辺のホテルリストにそれぞれ電話をかけては落胆のため息を漏らしていた。
都合のよい宿は片っ端から埋まり、出遅れた人は一晩1万以上の宿泊費でも飲んだ人もいるだろう。
翌日のなるべく早い便で帰ることを考えたら、寝るだけの宿に諭吉を使う気も起きない。
翌朝08:05の便に振り替えて一旦安堵すると、さてどうしようととりあえず確保した食糧を食べた。
ちなみに沖縄のソウルフードことポーク玉子(スパムと卵焼きを挟んだおにぎり)である。スパムの塩分が疲れた体に染みてなおのこと美味かった。

ポークたまご

宿はとっくに諦めて空港泊に挑もうと思っていたところ、周りの会話から那覇空港は締め出されてしまうことがわかった、国際線ターミナルも同様に。
God Damn It!!なんて難易度の高いサバゲーか、と、やっと事の重大さを認識できたのはこの時のこと。

Twitterの優しい人達の助けもあり、国際通り付近のネットカフェのナイトパック等の利用が最善策だとジャッジ。
体力は尽きかけて動く気力もなく、那覇空港から繁華街へ向かうゆいレール(モノレール)の最終が23:30なので、それまで2階フロアの広場のベンチに横になっていた。
すぐに移動してもよかったが、そのベンチが大変寝心地がよく、心底動きたくなかった。

20分程もダラダラと快適に寝転がっていた22:50頃、ビニール袋を抱えたスラックスのおじさんが声をかけてきた。
「ANAの欠航の方ですか?」
ハイと応えると、「この度はご迷惑をおかけしてすいません」と、唐突にビニール袋から取り出したほっともっと弁当を配給された。そののり弁の賞味期限は残り4時間に満たなかったが、せめてもの心遣いかと思うと大変ありがたかった。

お弁当

「すいません、いま(空港の)どこかにとどまれるように掛け合っていますので…」
と言い残して去って行くその後ろ姿は神様のように有難かった、いやあれは神、控え目に表現しても天使。
しかし、万が一、空港に留まれなかったらリミットは23:30。この時過ごしていたフロアも「23:30には閉めるから」と警備員にご丁寧に忠告されていたから、措置がとられていなければ追い出される頃には手詰まりになってしまう。(タクシーがあるけれどそこに払いたいお金はない)
その”措置”が取られたか否かわからないまま23:30を過ぎた頃、警備員に1階の到着ロビーへ追いやられると、そこには同じANAの欠航難民と思われる人が数少ないベンチを陣取り、あぶれた人が壁際にぽつぽつとスペースを確保しているのが見えて、空港泊にありつけたのだとハッキリ確信した。
「やった…!」
ガッツポーズをしたい気持ちを抑えて寝る場所を確保すると、ホッとしたのもつかの間、疲れた体を床にダイレクトに投げ出して眠った。
こうして、人生で初めての空港泊を経験することになった。

ザワザワとたくさんの人の声と気配に目が覚めた。すぐ側でJAL便の人達がゾロゾロと到着ロビーに溢れ出てきて、出口の先でJALの人がお弁当とお茶を乗客に渡しているのが見えた。

JALの人達

時間は26:00過ぎ、2.5時間程ウトウトと冷たい床で寝ていたらしい。
遅い時間に羽田を出発したJAL便がこんな時間に到着したのか、と思ったが、よくよく聞くと昨夜那覇を飛び立った便が、結局羽田に降りられずに引き返してきたらしい。
こんな時間にもなるとホテルに行くのを諦める人がほとんどで、到着ロビーはJAL難民の人達があちらこちらで雑魚寝を始めた。
JALなのか那覇空港の人かわからないが、2.7m×1.8mサイズの新品のブルーシートを配布する方が現れ、JALの乗客ではなかったがおこぼれをいただいて私達の寝床にブルーシートを敷くことができた。

目が覚めてしまったので、賞味期限が切れたお弁当をいただき、煙草を吸いに外に出ると、沖縄といえどやっぱり夜は肌寒かった。
寝床に戻り、ロビーの遠くのほうにあるTVからソチオリンピックのフィギュア中継が聞こえてくるのをぼんやり聞いていた。
それはよく耳慣れた曲「Romeo and Juliet」で、羽生結弦選手は金メダルを穫った。
その大金星も、どこか遠くの異世界で起きている出来事のように全く現実味がなく、28:00を回った頃に再び眠りに落ちた。

次に目を覚ましたのも、人の気配とザワザワとした話し声に起こされてのことだった。
さすがにこれは引き返した乗客ではなく早朝便を利用する人達で、空港は一日の営業をスタートさせていた。
振り替えた08:05発予定の便は、朝イチの時点で12:30発予定になっていた。
羽田の滑走路が1つしか使えず、それ以外は雪の影響で閉鎖している影響という。
出発時間が延びているならまだしも、お昼頃から夕方にかけての羽田便はほぼ欠航になっていたから、振替便が欠航になっていないだけ幸いだった。
これで欠航にでもなっていたら、また振替手続きからやり直し、いつ飛ぶかも危うい便にかけて待つことになっていたと思うと、生きた心地がしなかった。

いつまでもここでブルーシートを敷いているわけにもいかないと、昨夜の快適な2階のベンチに戻り、ひたすら振替便を待ちながら時間を潰した。
その後もフライト予定時刻の12:30が13:10に、搭乗手続きの列に並んでいる間に13:10が14:50になった時、さすがに何かを呪いたい気持ちになった。
また出発予定時刻が伸びたら、次こそは腹をくくってさっさと宿を取ろう、一泊して、航空トラブルのない日になんの心配もなく帰ろうと、この状況に心底ウンザリしていた。
始めのうちは、「空港泊にチャレンジ一年生♪」なんて楽しむ余裕があったものの、時間が経つにつれて「うちに帰りたい」という気持ちが募るのみ。疲労もあって余計に辛さは輪をかけて増すばかりであった。

グッバイ那覇

予約の便は14:50を20分押した15:10に那覇空港から羽田空港に向けて飛び立ち、17:30には東京都大田区の羽田空港に無事たどり着くことができた。
初めて飛行機に乗ってから13年、こんなにも羽田に降り立つことが待ち遠しく、心底嬉しかったことはない。
徐々に近づく白く縁取られた滑走路は全く馴染みがなくて新鮮で、映画のように感動的で、着陸時に窓から見えた滑走路の色とりどりの誘導灯は、まるでイルミネーションのようにキラキラ煌めいて、「ホワイトクリスマスだ、ダイ・ハード2だ」って子供のようにはしゃいだ。

羽田

東京は寒いから、と薄着で沖縄に飛び立った私を心配して、夫がダウンとニット帽を持って到着ロビーで待っていた。
この年末年始に、ニット棒のてっぺんのラビットファーのもふもふが取れてしまったままだったはずが、丁寧に修復されていた。
私は、45年ぶりの大雪で冷えた東京の、念願の暖かいおうちに帰った。

那覇空港での空港泊は、おそらく特別措置だったと思われます。
関係者の方のご対応に心から感謝しています。

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