ねんしょ

念書

「念書」なんて単語を、職業上日常生活の8割がたは接しているWEBで見かけたのは初めてだったと思う。

念書
後日のための証拠として念のために書き写しておくという文書のことである。念書には一方の当事者だけが単独で他方の当事者に対して差し入れるという形式が取られており、このことから差し入れる側の当事者だけが他方に対して義務を負うこととなっているという事を確約するものである。
念書 – Wikipediaより

2月26日水曜日の0時ジャスト、稲葉浩志のソロ・プロジェクト用のホームページen-zineが公開され、新曲「念書」が同時にリリースされた。
この新曲の情報は公開前に一切告知されていなかったから、このタイミングで初めて「念書」というワードを見た時に「やっちまったな」という察しからの脱力感と、聴く前から不穏な気配にゾワゾワと背中の上のほうが寒くなった。

続いてPVを再生して「ああもう」というウンザリ感。
そろそろ付き合うのもしんどい。

冒頭から檻の中にいる人達、ブレない。
1コーラス目のサビで主人公の女性が「心に彫ってしまえばいい」で腕に「感謝」という赤い文字を刻みこんで倒れる、ホラー。
2コーラス目、「ずっと持っていきます」で手のひらに描かれた「志」を握る描写。
歌詞が主人公の女性の体に描かれていく演出が、ここだけ歌詞とは違う。

「志」は言うまでもなく稲葉を象徴するワードで、このVの女性はもちろん稲葉自身の代打だ。

この体に歌詞を描く演出は、2002年のアルバム志庵に収録されている「O.NO.RE」で一度行われている。

他のアーティストのPVでも、歌詞を体に描く演出はあまりお目にかからない。
自身の肉体美とTATTOOを見せたいただけではと思える部分もありつつ、再びこの演出を持ってくるのは並々ならぬ意味合いが込められていないはずがない。

稲葉浩志という人は、TATTOOにとても強い思い入れを持っている。
かつて、自分の真似をしてTATTOOを入れているファンがいることに対し、
「自分のTATTOOは歌で生きていくという覚悟の現れだから」
とフォロワーに対してやんわりと苦言を呈していたのを記憶している。

彼のTATTOOで見える範囲で確認できるものとしては、
・右肩RESPECT(一番古いもの)
・右手人差し指トライバル
・右手首のトライバル
・へそ周りのトライバル
・左肩の炎のようなトライバル
・左二の腕の「志」と腕を巻くトライバル
・背中の昇り竜(これもトライバルタイプ)
である。
全てのTATTOOの意味合いは知らないが、竜と「志」へのこだわりは特に強い。(ちなみに辰年)

このことから、【歌詞を体に描く演出】は彼の中で【TATTOOを彫る行為】にほぼ等しく、それだけこの“歌詞(=念書)にこめられた想い”が強いことがわかる。
「心に彫ってしまえばいい」「心に染め抜いてしまえばいい」誓いは、TATOOさながらに女性(=稲葉)の体に描かれていく。
つまり今現在彼の体に入っているTATOOも、彼の誓いであり覚悟の表れである「念書」そのものだ。

歌詞は以下。(聞き取れたもの)

目の前の闇が怖いから立ち止まる
稲妻が走るような天啓は待てども来ない
愛しい者たちの笑顔 ちらりと描いて
ストレートだろがカーブだろうが答えを出したなら

(Your time has come)
いまから自分がやることを未来において
絶対後悔致しません 永遠(とわ)に誓いますって
心に彫ってしまえばいい

我が身のことばっか心配で
夜もおちおち眠れないから また翌朝体は重い
何だか損をしたような気分 自分がかわいそうで
恨む相手を探しながら 大事なこと忘れる

(Your time has come)
世の中がガラリと変わっても
あの人への感謝
それだけは決して忘れません ずっと持って生きますって
心に染め抜いてしまえばいい

どんな結果にも目を背けない
誓ったらただ今を生きるのみ
どんな結果にも目を背けない
誓ったらただ今を生きるのみ
どんな結果にも目を背けたりしない
誓ったらただ今を生きるのみ

現状を打開できない自分(とそのような人達)、現状を打破するために、強い覚悟を決めて(心に刻んで)暗い今を打破する一歩を踏みだそう、どのような結果になっても決して後悔しない強い覚悟で。
被害妄想に苛まれて誰かを恨んでいるうちに忘れてしまう「あの人への感謝」を忘れないで(心に刻んで)生きていこう。

歌詞から読み取れるのはざっくりとこんなところだろうか。
そしてPVは面白いほど充分にこの歌を補足している。

象徴的な赤は檻と女性の体に描かれる歌詞。
赤で連想されるのは「念書」に用いられるであろう朱印の赤、そして血の赤。
檻の赤はおそらく(心に)血がにじむほどに辛い苦痛や苦境の表れ。
体に刻まれる歌詞が「念書」で誓う内容であり、血印を押すほどの決意表明ともとれる。
そしてこのホラーなPVを一層ホラーたらしめているのが稲葉代役の女性の怖い顔。

念書を心(と体)に刻んで誓いを立てた上でのこの形相、光に向かって歩けども修羅の道にしか思えない般若か鬼かといった顔。
2コーラス目のサビが終わった後、ブリッジの短調と不協和音で表現される、一歩踏み出した所で決して明るく楽しくはない道。
そもそも血がにじむ決意で心(と体)に誓いを立てないと踏み出せないほどの現状とは…?

私は本来、稲葉ソロ作品が好きだ。
彼が抱える閉塞感や理解者のいない孤独さ、救いのなさ、唯一愛している大切なものを強烈に求めてやまない欲求、そしてあわよくば自分のものだけにしたい独占欲、唯一の大切なものをひたすら信じ続けている宗教にも似た病的な一途さ。
自分もメンヘラだったから、こういったものに共感できるし何度も胸を打たれてきた。

この「念書」では表面的には前を向いて歩いて行くポジティブな姿勢が歌われてはいるものの、

・光(希望)の方向へ向かっても、変わらず苦痛が伴いまくるのがわかっている
・僅かな光を必死で信じている、だけどその目指す行く末がおそらくは望み薄なのもわかっている、とはいえ信じることでしか一歩を踏み出せないからとにかく信じ、自分を鼓舞している

という、自らに対して“本当に力づくで無理矢理なポジり方”なのがわかるから、聴いていてとてもしんどく、疲労する。
実際肩や頭が痛くなるほど、「念書」らしく怨念のようなナニカが発せられていて正直何度も聴けたもんじゃない。
彼による彼を鼓舞するための自己専用啓発ソングに、脱メンヘラをした私が共感できる部分が1ミリもない、メンヘラ中でも共感できるかわからない。(おそらく彼もまた共感を望んでいない。)
せいぜい「…さらにこじらせてますね、がんばってください」しか出てこない、…というかこれ外出ししないほうがいいんじゃない?

“いまから自分がやることを未来において絶対後悔致しません”と“永遠(とわ)”に誓った上で踏み出される一歩とはどれほどの内容だろうか。(というか何すんだ)
そして踏み出す際に必要な決意(誓い)の重さと、それに伴うであろう恐怖はいかほどか想像もつかない。
重すぎる決意がないと蹴破れない恐怖心を乗り越えてなお求める光は、決して忘れないと唯一心の軸に据えられる「あの人」への感謝。
家族でも兄弟でも先生でもない、…「あの人」とは?

マッチャン マッチャン help me…

最後に。
「心に彫ってしまえばいい」「心に染め抜いてしまえばいい」という、この歌で自分に特に言い聞かせたいはずの2センテンスが「彫れ」や「彫った」、「染め抜け」や「染め抜いた」でなく「〜してしまえばいい(じゃん)」という投げやりさが引っかかる。
PVで主人公の女性は檻(現状)をぶち破って一歩一歩歩いているけれど、実際歌われているのは「やればいい(じゃん)」という提案段階。
最後も「どんな結果にも目を背けない 誓ったらただ今を生きるのみ」と、まだ起こっていない結果に対して対処法を反復しているだけ。
当事者である稲葉本人は、結局いまこの瞬間逡巡し続けている。

アンサーソングは最新アルバムに収録されているんだろうか。
この禍々しい瘴気を受け流せるようになったのも1日かかってのことだったので、楽しみ1割不安9割といったところ。

あと、念は念じるから念であって口に出すものではないので、「念」って公で言っちゃう病状深刻だなって思いました。球審がいるなら一発退場させてほしいです。

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